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生きるという事は死ぬまでにこの世に生を受けた事の意味を探す旅

親父の死

   

長いこと更新する事もできぬまま、ずいぶんと時間が経ちました。親父が他界して二週間が経過したので、少し文字にしておきたいと思いました。書いたからといって何になるわけでもなく。そしてまた何を残すのかも決めていません。

大腸のS字結腸癌と診断されてから半年の闘病あっという間で短く、そして辛かったろうと思う。娘の1歳の誕生日の時、やつれた親父に違和感を感じていた自分に腹が立つ。なぜあの時強く医者へ行く事を勧めなかったのか。今でも後悔する。それだけじゃなく、もう少し前に親父と会話した際に、検診させていれば、転移は防げていたかもしれない。そう思う。結果的に言えば、だが。病理解剖の結果、S字結腸癌は手術が成功していた。死因は肝臓への転移によるものだった。肝機能が完全にダメになっていたのだ。 人が死ぬときは声が出なくなり、目が見えなくなり、そして聞こえなくなるという。親父のときそうだった。だんだん声が出しにくくなって会話する事が辛くなっていった。他界する前の日は完全に目が黄色く濁っていた。声も出ないし、俺の声に手を挙げて反応するのが精一杯だった。もっと前の日から、毎日会いに行けば良かった。俺の誕生日に再入院してから、親父は病院から自宅に戻る事は無かった。親父はただ、細かい事を頼むな、そういってた。一生懸命自分の携帯で、俺と娘の写真をとって、うまく撮れた写真を見ながら満足そうだった。もっと娘の写真を撮らせてやれば良かった。 そう、何もかもは後悔にすぎない。あとのまつりなのだ。何もかも悔やんだって手遅れなのだ。

親孝行は生きてるうちにとか、孝行したいときに親はナシとか、そんなの先の話だとか思ってた。でもとっくに自分はおっさんの仲間入りしてる事に気が付いてなかった。いや、そういう意識が無い、甘かった。そう、いつまで現実から目をそらしてんだと。 抗がん剤治療を途中で親父はやめた。本人が相当辛かったらしい。確かに抗がん剤に関してはどこもかしこもろくな事が書いてない。医者が言うにはあと一回やってれば、50%の確率ですこし余命が延びる患者さんもいると。これもまた結果論だ。やってた所で半年くらい延命で来たのかもしれない。そうしたら妹と弟の結婚式に間に合ったのかもしれない。それでも肝臓が完全にダメニなってたのだから、抗がん剤なんかどうにもならなかったんじゃないだろうか。 月に15万円もするAWG治療は結局間に合わなかった。しかし親父はそれをやっている間は気持ちがイイんだといってた。楽になると。難しい事はよくわからないけど、製薬会社や医師会が圧力をかけてくるようなものなのだから、多少なりともなにか効果はあったのかもしれない。そう思いたい。

親父が死んだのは夜中、3:05だったけど、そのまえに病院から母親の所に連絡があったのは2:30ぐらい。その時にはもう安らかに、眠るように息をひきとってたのだろう。夢を見るように旅立ったのなら、それはそれでよかったのかもしれない。そう思うくらい、親父の死に顔は安らかだった。あまりにも奇麗で誰もが驚いた。親父の所に駆けつけたときには、もう家族全員が集まっていた。オレは仕事の最中だったから出遅れた。俺の方が病院の近くにいたのに、仕事場の電波が悪い所にいたからだ。それでもせめて前日に親父に会えたのは、娘をつれていけたのはよかったのかもしれない。2歳半の娘はひたすら、死期が迫っている親父に近づくのを、死んでからの親父に近づくのを嫌がっていた。

娘は不思議なもので、すべてを悟っているかのように僕を抱きしめては「大丈夫だよ、泣かないよ。そばにいるからね」そんな事を口にする。本当に輪廻転生というものはあるのかもしれないと感じてしまう。

病室のベッドで静かに眠る父を霊安室に移動する。その前に病院側の方が親父を奇麗にしてくれる。身体を拭いたり、すこし整えたり。そうして親父は霊安室に安置された。葬儀屋さんはもともと親父の知り合いを頼んでいたので安心出来た。葬儀屋に知り合いがいるってのは悪くないのかもしれないとその時は思った。それと同時に何度も何度も人間の死と向き合うその仕事は、本当にどんな感情になるのだろうかと考えてしまった。そして自分の知り合いや友人を送り出していかねばならないこともたくさんあるだろうに。

夜中に医者と相談して病理解剖し、翌日の夕方に結論を聴くことにしたため、葬儀屋さんにはまた改めて夕方に来てもらうことになった。人が死んでから霊安室に運ばれて、そして葬儀屋と話をして。たったの二時間で済むものなのだ。夜中だったからだろうか。それと霊安室に行く為の職員専用のエレベーターとかあるんだな

明け方、結局電車も動いてないし、仕事もまだ途中だったし、職場に戻った。そこから各所に連絡メールをした。まぁメールを夜中にした所で、早めに出社してくるような奴ではないからとにかく腹立たしい思いを同僚にした。人間の死をなんだとおもってやがるんだと。

親父の葬儀は本人の希望の場所でやった。通夜も告別式も火葬もそこで済ませる事ができた。家族葬に親父はしたかったようだが、周りが黙っていないとかで友人葬になった。なったけどやはりそれじゃ納まらない。結局350人は来たようだ。なんだかすげえな。とはいえアレ関係の人ばかりだったから、そのへんは香典は遠慮とかいうのもあるらしく、そんなに大した金額にはなってないだろうし、訪れた人全員が食事した訳ではなく、香典もってきた人だけが食事していったらしい。とはいえ、母親の想像を遥かに超える人数だったようだ。まぁそりゃ想像もつかないよね。親父も顔が広すぎるから

喪主は母親がやったけど、告別式の挨拶は自分がやった。言葉が出ない。頭と終わりの定型的な挨拶は頭に入れておいて、あとはこういう事を話そうとだけ決めて、文章を覚えても忘れるだけだからやめた。でも言葉が出てこなかった。言葉がつまる、という事を初めて経験した。その代わりにそれまでほとんど出てこなかった涙が溢れ出してとまらなかった。どうにもこうにも言葉がとぎれとぎれにしか出てこなかった。自分でも驚いた。しゃべろうとしている単語は頭にあるのに、クチから出てこない。母親が後ろで頑張れとか言ってるけど、頑張ったって言葉が出るもんでもなければ頑張りようがない。どうにもならない時、参列者の中にお義父さんの顔が見えた。その瞬間、ふっと言葉が流れ出てきた。じっと僕を見つめるお義父さんからしっかりしろって、そんな事を言われている気がして。自分自身を取り戻す事ができた気がする。

親父が死んで半月経った今でも、正直、まだ現実に起こった事ではないかのような感覚にいる現実を認めたくないというのもあるかもしれないが。

 

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