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生きるという事は死ぬまでにこの世に生を受けた事の意味を探す旅

親父の癌

   

便りがないのは良いたよりとはよくいったもので。滅多に電話なんかしてこない弟からの電話がなると、やはり何事かと構えて電話をとる。

親父の様子がかなり衰弱しているように感じるから、会話ができる今のうちに会いに来いという。親父と仕事をしている弟は日頃からみているから、なんとなく変化に気づくという。確かに症状の進行としては声が出しにくくなり、会話が疲れるようになる。そして見えなくなる、聞こえなくなる。そう医者からは聞いている。弟は親父から話したい事があるだろうからと。実家のこと、土地の事、母親の今後もどうするのか。きっといろいろあるだろう。親父たちの頃は年金なんてどうせまともに支払われないからといって、国民年金に入らなかったらしい。自営業だからというのもあったのかもしれないが、確かにまぁ年金は怪しいという事実はあたったが、母親は今後どうするのか。そんな事までは考えてなかったのだろう。高額医療制度が無ければ完全にアウトだったのだから。

母親にも電話してみた。かなりメンタルが弱っていると弟から聞いていたものの、しっかりとした口調で今の状況を説明してくれた。抗がん剤治療をやめBAK治療もやめた。一番最初の抗がん剤は効果を感じたのに、途中からはまったくもってあわないと感じてから衰弱していくまでが本当に早い。抗がん剤の様々な話をネット上で目にするが、すべてを信じたくなってしまうほどだ。

知り合いのツテでAWG治療というものに賭けてみるらしい。薬剤や医師会から弾圧を受けるほどのものらしく、エンジニアだった人が開発した機械なのだそうだ。粒子線放射みたいなもんとはいってたが。よくわからんが何にしても今はそれに希望を持っているらしい。3.11の影響もあり、その機械は国に使われている部分もあるそうだが、開発した方は社会貢献の考えが強く、一人でも多くこの治療を受けられるようにしたいのだとか。周りから売ってくれという声はたくさんあるが、金儲け目当てばかりで、自分の教え子にしか譲っていないのだとか。大量生産したくとも、政治的な力でできないんだろうか。何にしても、抗がん剤に関しては医者が扱う際は猛毒なので手袋をするどころの騒ぎではないらしい。それに医者が抗がん剤を使う理由はマニュアルだからという話もきく。

なんにしてもそのAWGの治療を始めてからいろんな事はまた考えようと母親には伝えた。そしてうちの奥さんも同居には反対していないからと伝えた。母親は電話の向こうで号泣していた。助ける事が全くできない。次男は実家に戻ったらしい。あれだけ離ればなれだった次男が、今つきあっている彼女にいろいろと話をして、別に同居してもかまわないといっていたらしい。電話をしてきた三男も、奥さんの親との同居話が出ているが、自分の親の事も考えているという。なんだかんだみんな、自分の親の事をちゃんと考えている。何の相談もした事がない。家族全員がそろったのはおそらくは弟の披露宴が最後だろう。その前は俺の披露宴、その前になるともはや10年以上前になる。俺が家を出てからというもの、実家に全員がそろった事は無い。そんなバラバラな家族でもじつは意外と家族してんだなと思えた。

そのあと、雨の中駅まで車で迎えにきてくれた奥さんと娘をみてとてつもない安心感を得た自分は、必死に今日あった事を説明してくれる2歳半の娘の笑顔をみて泣いた。

いつか自分にも訪れるであろう死が、この二人との別れを告げる事に恐怖を感じたのではなく

親父の万が一の事を考えている弟は早すぎるといいながら、自分だって何もかわらない悔しさからでもなく。

ただただ、わけもわからない。とにかく今訪れている現実に泣いた。

一番泣きたいのは癌と闘っている父親本人だろうというのに。何も悪い事をしていないだろうに。

何でも無い日々を大切に。その瞬間が最期だと解っていたならば、玄関を出るときにもう一度大切な人を抱きしめるであろう事を忘れずに

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