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生きるという事は死ぬまでにこの世に生を受けた事の意味を探す旅

今年ものこり一ヶ月となりました。

   

12月になりました。2011年ももう少しで終わる訳です。毎年同じ事を言いますが、本当に時間が過ぎるのは早いものです。あっというまです。年を重ねるとびにどんどん時間の経過は速くなると言いますが、まさにそれを実感しています。

2011年を振り返るにはまだ早いのは重々承知の上なのですが、そろそろ年賀状を考える時期でもございます。そんな中、喪中はがきが何枚も届きまして。なんだかすごく悲しくなりました。今年は震災の事を考えなくても、訃報を聞く事が多かったと感じておりまして。なんともやりきれない気持ちになります。どうも自分の身に置き換えて考える事が自分は多いもんですから、自分の父親が死んだらとか、自分の兄弟が死んだらとか、不謹慎にもとれるかもしれなくて申し訳ないのですが、そう考えるとすごく辛くて、苦しくなるのです。そして死ぬのが自分だったら、と。やはりどうしても考えるのです。あれこれの処理はどうしたらよいだろうとか、売れる物はあるだろうかとか。棺桶に入れてほしいものなんてそんなにありゃしないし。自分の形見になる物なんてあるんだろうかとか。どうやって知り合いに知らせてもらおうか、ああ、iPhoneから一斉メールでもしてもらおうか、会社関係はいいか、それ以外の友人はどうしようか。そういや今まで同級生だった誰かが自分の知らないうちに亡くなってる可能性だってあるじゃないか。

もちろん、落ち込む必要も無ければよけいなお世話というか。いいよそんなのとも言われそうなのですが。自分は転居のお知らせもドタバタしたまま送れていない失礼な奴ですから、年始のご挨拶だけでも とおもってましたので。こういう場合どうしたら良いのだろうと調べました所、寒中見舞いを出すのが良いそうです。

様々な例がありました。
http://www.ohnoya.co.jp/faq/dictionary/nenmatsunenshi/hagaki.shtml

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1837188.html

自分も寒中見舞いを送ろうかと思います。世の中メールだのSNSだの普段の姿を簡単に知る事が出来るようになりましたが、年賀状は一つの区切りとして、失いたくないなぁと思う次第です。少なくとも、自分の披露宴にご参列いただいた方々には、送り続けようと思ってます。

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