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生きるという事は死ぬまでにこの世に生を受けた事の意味を探す旅

たまには更新

   

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こっちの更新したので、
たまにはブログなんぞも更新してみようかなぁと。
でも書いてるとなんだかブルーな事しか
書かないような気がするんだけどね。
まぁ、それもまた自分自身の足跡になるのかなぁ。
知ってる人は知ってるけども
オレには借金が有る。
いばっって言う事じゃないけど、
あと120万はある。
結局親に迷惑をかけないよう親に頼らず
そして自分自身でなんとかしようともがいてきた。
でも結局は自分自身の選択が良くない結果ばかりを生み出し
何度も引越をして、そしてどんどん借金は増えるばかりで。
そんな生活を長いこと続けてきて
結局親に頼ってしまった。
情けない。
なんでこんな事を書き出したのか
またいま自分自身が同じ事の繰り返しに
立たされているからだ。
なんとも、情けないとしか言い様がない。
自分自身が情けなさ過ぎて、
どうしたら良いのか解らないくらいだ。
実家に戻る事は出来ない。
居住スペースが無いのだ。
実家も俺が生まれ育った団地から
借家にうつり、そして数年前に一戸建てを買った。
うわものだけでなく、土地もついてて格安で。
格安なだけに部屋数も少ない。
土地も狭い。
3階建てで各部屋がものすごく狭い。
ベッドなんておいたら座る場所なんてほとんどなくなる。
でも自分の家を持てた親は
念願の夢かなっただろうし、
すげーと思う。
俺が育ったのは13階の3号室
都営住宅の団地だった。
そこはいわゆる低所得な人間だけが
入居できる団地であり、後から思えばそういうことだったのだ。
子供の頃からウチは貧乏だからねと
言われ続けてきた。
子供ながらに貧乏の意味はTVでみていて解っていた
だから自然と物をねだったり、親に甘えたりするようなことはしなかった。
洋服も、その当時は当たり前だと思っていたが
お下がりばかりだった。長男だったのに、だ。
洋服は近所の少し年上の知り合いから
譲ってもらう事が多かった。
あまり洋服を買ってもらった記憶も実はあまりない。
それでも俺は長男なだけあって、色々恵まれてたと
そう思ってた。
産婦人科も月島のそれなりのところだったし
長男、つまり両親にとって初めての子供だっただけに
いろんな事を小さい頃にしてもらっていたらしい。
写真でしかそれは伺いしることはできないのだが。
実は家族でどこかに出かけたというのも
余り記憶に無い、
両親の実家は同じ区内だったし、旅行もあまりなかった。
たいてい、親は夜もそして土日も
いわゆる宗教に熱心で、小さい自分もそれをやることが
当然の事だったと思っていたし、そして真面目にそれを
する事が親に注目してもらえる事だと理解していた。
そう、自分自身に振り向いてもらうには
優等生になるしか無かった。
まるで犬だ。
良い事をして頭をなでてもらいたいが為に
必死になっていい点数をとる。
でもそれが当たり前だと思い込んでいたのだから
その当時の自分は何とも思わなかったのだ。
日曜日の少年野球を断念したこともあり、
知らぬ間にサインを知らなかったのは俺だけだった
こともあっった。
それでも背番号18をもらったときは
エースナンバーだと親は喜んでくれた。
俺はピッチング練習をよく親父としていたせいもあり
外野にいようと遠投する際はなぜかフォームをつけてしまう
癖がなかなか抜けなくて、監督に何度も怒られた
夜になると親は決まって集まりに出かけ、
部屋には俺と兄弟だけ。
そんな夜もあった。
時には近所の知り合いが面倒を見にきてくれた。
ただ一緒に居るだけでお留守番してただけだけどな。
自然と、それはごく当然のように
そんな環境で育った子供には自立心が強くなる
玄関には金属バットを常に用意していたし
部屋の奥にも竹刀を必ず隠してた
まぁその竹刀も不審者ではなく
兄弟喧嘩で弟が俺にぶん回してきただけだったが
グレる、まではいかないにしても
それなりに悪い事はしてた。
でも学校では内申書は高かった。
まぁ、周りがすさんでた中学だったから
俺なんかは優等生のままだったんだろうな。
でも実際偏差値は高かったし
それなりの有名都立にも行けたし
あ、そうそう私立じゃなくて都立ね。
私立も受けたけど滑り止め。
内申書のおかげもあって合格。
ただ内申書が良くて自分の能力値を超えた
高校に行ってしまったのが最後。
それが優等生の終わりだった。
周りは自分異常の能力をもった人間ばかりで
自分なんて井の中の蛙だってことがすぐに解った。
それいらい井の中の蛙という言葉は使用した事が無い。
高校の時の彼女は早稲田に一発合格した。
そんな高校だった。
もちろん大学生の彼女とは様々な考えがズレていき
そして別れた。
どうしてるかなぁ、
きっと平和で幸せな家庭にいるんだろうな
俺は、大学に行く事に疑問を覚え
自分也に自分の為の生き方を探し始め
高2の時には専門学校に行く事に決めてた。
ガソリンスタンドのバイトは実は中3の春休みには
決めてた。
よくもまぁ雇ってもらえたもんだとも思うが。
そこからバイトしまくった。
軽音部も必死にやった。
バンドブームだ
気が付くと今まで手にした事も無い金額を
使いたい放題になっていた。
そりゃ小遣いなんてなかったんだから
自分で働いてお金をもらって、そして好きなように使って。
バブルだ。
そして自分のバイトした金で初めてギターを買った。
OrvilleのSG
確か7万ぐらいだったとおもう。
もちろん今も持ってる。
手離す事は無いだろう。
専門学校に入り
人並みに恋をして
そして就職活動もして。
なんとなく簡単な校内面接で決まりそうなところだったし
彼女もすでに就職内定してたしで焦ってたところも有り、
なんとなくの流れで内定、就職。
そのまままさか12年も続くなんて
誰も思わなかったろうな。
20歳の誕生日からずっと。
そんなこんなで就職と同時に実家を出た。
いきなり同棲を始める
ここからか。
ココから間違ってんだな俺の人生。
振り返ってやっと気付いた。
実家を出なきゃいけないことはなんとなく解ってた。
空気を読める男だったから。
部屋は弟と共同だったし、団地の時なんて
同じ布団で寝てた。
18歳の頃までな
今思うとあり得ないな
実家もその頃には借家に引っ越してたが
やはり狭かったから俺は出て行かなきゃならんかった。
そして同棲
一年後に破局。
新しい部屋に引っ越す為借金を抱える
敷金が全くもどってこないため、返せない。
そしてさらには相手の親にも慰謝料がわりじゃないが、
電化製品を買うときにいくらか援助したということで
遠回しにお金を要求され。
その為の借金。
同棲してたときも自分への投資だからと
PowerMac 7500一式を購入。
そのローンが残ってるのに引越で借金
その時点で100万円近くになる。
うんココだ。
ココからずっとだ。
それから一人暮らしをしながら
そして本来ならば許されない
深夜のバイトをしながら返済を続け
そして倒れた。
尿管結石だ。
そりゃ食費を削って借金返して
そして深夜のバイトして
不規則な本業してりゃとうぜんだ。
そしてしばらくして恋愛するも
半年で破局
ココはさすがに引越しなかったからセーフ。
でも次の恋愛でやっぱり同棲。
これは長く続いたが、高望みして
それなりにいい部屋に住んだばかりに
同棲してもお金は出て行く。
そして骨折
ここで更に俺の人生が狂う。
使えないと上司に言われたことが発端で
鬱病になる。
ちなみにいまだに「鬱」という漢字は書けない。
こっから先はまたいつか振り返ろう。
ココまではわりと最近のような気もするから。
過去は振り返らない性格だが
たまには振り返るべきでもあると思った。
つまり「反省」「学習」の欠如。
ダメな人間は変わらないんだろうか。
そんなことは無いはずだ
生まれてきたからには
誰もが使命をもって生まれてきているんだ
何の意味も無く生まれてくる人間はいないはずだ
だから生きていかなきゃならない
どんなに苦しくても、どんなに辛くても
生きている事の意味は、きっと
死ぬときまで結論は出ないはずだ
死んだら誰もが「無」になる
そこにあるのはただただ、何も無い
真っ暗な漆黒の暗闇
考える事すら出来ない。
自分自身という存在すらない。
自分自身が自分自身であるという意識すら持てない。
おれはただ、家族が欲しいだけなんだろうな
寂しいだけなんだきっと。
今まで経験した事の無い
一家団欒を味わってみたいだけなんだ
多分
なぁ、
俺はここにいるぞ
ここで生きてる
俺が俺である為に
もがき苦しんで這いつくばって
そしてまた
長いトンネルの中を歩き続ける
こんな俺でも生きている事が許されているのだから
与えられた生を、精一杯噛み締めなきゃならん
前に向かって歩け
顔を上げろ
青空を眺め
夜空の星に憂い
春風を感じながら
緑の匂いを嗅ぎ
あらゆる壁をよじ登り
また新たな道を探す
まだ自分は恵まれてる方だ。
恵んで欲しい気もするが。
PMA

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