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生きるという事は死ぬまでにこの世に生を受けた事の意味を探す旅

ひさしぶり

   

どうも、俺です。
仕事がすこし落ち着きました。
相変わらず休みはありませんが。
休んだのは9/2だったので、今のところ
21連勤予定です。
たぶん。
まぁ、休める日はあるでしょう。
労働時間は半月で200hぐらい。
大したもんです。
でも労働時間とかそんなことは
どうでもよいのです。
その他の悩みのタネさえなんとかならないもんかと
そう考えながら毎日を過ごしてます。
それは一つというわけではなく、
たくさんのことが集約されて
大きくまとめると一つになるといったかんじでしょうか。
だからストレスを発散しなきゃならないのですが、
どうにもこうにも。
じゃぁ、どうするかって。
iTMSですね。
ここのところ購入しまくってます。
参加しているアーティストは多分、マカーなのだと信じて。
今日も椿屋四重奏を購入しました
けっこう好きです。
ものすごく感情のこもった音楽で
音楽だけが僕にとって救いなのだから。
ギターを弾いている瞬間は正直
生みの苦しみを感じながら弾くようになりました。
思うようにひけない。
練習しないからだけど。
何か一曲作ろうかとおもうけども、
今の僕には言葉が足りない。
何を弾いてもなにかのモノマネのような感じがして
どうにもならない。
現実問題、活動再開はかなり困難。
西葛西に今年できた、いきつけのスタジオの支店に
そのうち行きたいなと思ってます。
なにか、自分のなかで感情が動くような出来事が
あればいいのかもしれませんが
今の僕は無力です。
恐ろしいほど無力です。
僕の力ではどうにもできないことだらけだと
権力の前には屈するだけなのかと。
そう感じます。
ある意味ぼくもすっかり大人の仲間入りしている訳です。
10年前のようながむしゃらな、ただひたすらまっすぐな気持ちは
どこに逝ってしまったのでしょう。
時折探します。
部屋の中、身の回り、デスクまわり。
見つかりません。
灯台の下はくらくてよく見えないのです。
180cmの身長の足下ならなおさらなのかもしれません。
ことさみしげに、今年僕と同じくて齢30歳を迎える、
GibsonSGが寂しげなので
これからかきむしろうかと思います。
なにも生まれやしません。
そう、何一つ生まれないのです。
でも確かにそこに僕とSGは存在している、
その証と確認はできるかもしれません。
こんな僕でも、生きていられることに感謝せねばなりません。
音楽をこよなく愛する、ニューオーリンズの人々のためにも。

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