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生きるという事は死ぬまでにこの世に生を受けた事の意味を探す旅

幼稚園の運動会

      2014/10/15

先週の土曜日。娘の幼稚園の運動会に参加してきた。

夏休みあけからずっと、毎日練習してきた運動会。
わいわいわいわいうんどーかい
わくわくわくわくうんどーかい
毎日家で大きく口をあけて(あけたまま歌うのでなんかおかしい)
みてー!みててー! 毎回アピールする。心配しなくても本番はじっくり見るに決まってる。

奥さんの実家からみんなが集まってくれる。お弁当を少しお義母さんが作ってくれるとはいえ、奥さんが作るお弁当は大変である。だいぶ前からメニューを考えて買い出しをしておいてお菓子も準備をして、当日はずいぶんと早起きをして。。。。僕はと言えば仕事がずっと忙しかったからいつもより少し早く起きたくらいで運動会が行われる幼稚園の近くの小学校へ場所取りに行ったのだけれど、ずいぶんと敷物が埋まっていた。それでも3列目。まだいいほうだったのかもしれない。

ドタバタしての開会式。園長先生の運動会への思入れはハンパないようで、ずっとワイヤレスマイクを持ってしゃべっている。結果すべての競技においてMCから実況からすべてしゃべりっぱなし。声が大きくてひずんでる。職業的にいつかこの延長のマイクパフォーマンスを是正するのが目標である。

一番最初の競技が年少のかけっこ。娘がさっそく登場する。陸上部だった奥さんのようにはいかず、どうも脚の遅さは僕ゆずりなのかもしれない。こればっかりはママに習ってもらいたい。一応5番目ということで順位ごとにも整列されるからか、娘は負けちゃったという意識がきちんとある。この辺は年少さんだからみんな頑張りましたで済ます訳ではないんだなぁと感じた。

そのあとはわいわい運動会でしっかりとフォーメーションを披露してくれ、席に座っている家族親戚一同に気づいてしまい、すっかり意識が飛んでしまった。手をふりつづける。おーい!おーい!と。そこからまた引っ込んで、しばらくしたら玉入れ。このときにはもうぐずり始めていた。運動会だから当たり前なのだけど、ずっと幼稚園側のほうで控えている娘は本当はじいじやばあば、いとことじゃれ合いたくて仕方なかったのだろう。戻りたくても戻れない。幼稚園ではいい子。戻る事はいけないことだとわかっている。

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玉入れ競技から戻るときもあまり楽しそうな顔をしていない。そのあとの親子競技の際、奥さんは母親競技に出る事が決まっていたので自分が親子競技に参加しようと思い、事前に並ぶ際に娘の様子を見に行ったら娘は泣き出してしまった。もう疲れたとぐずりはじめる。その疲れたという言葉は本当に疲れたという意味合いで使っていない。体力的な疲労感からきた疲れたではなく、様々な物事を我慢していた事に疲れているのだ。

子供は子供なりに、幼稚園で必死にいい子でいようとする。親にほめられたい一心だと思う。子供の頃、親にほめられる事がすべての原動力だった気がする。

幼稚園の運動会、年少は初めての大きな公式行事なのかもしれない。親と長い時間離れて練習の成果を披露する。年中はその一年後の成長を見る事が出来るのだと思う。そして年長さん。リレー競技や組み体操、あんなに小さかった子がこんな事を出来るようになるなんて、そう思ったら泣くに決まってる。親としてそこで何も感じない訳がない。子供の行事は親もまた人間として成長する、人生の中の一つの大きな行事なのだ。娘の成長を思うと共に、やはり奥さんへの感謝の気持ちでいっぱいになる。

どんなに忙しくても子供の行事には参加すべきだと思う。そして会社サイドとしては子供の行事に親である人間を参加させるべきだと思う。それがその社員を成長させる一つの行事でもあるのだから。企業が積極的に子育てを支援する事で、社員が大きく成長していくのではないだろうか。

 

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