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生きるという事は死ぬまでにこの世に生を受けた事の意味を探す旅

親父が癌で他界して思った事。

   

親父が他界してからというよりは、親父が末期がんであると診断されて、手術をしてからというもの、自分の中で様々な物事の考え方がかわりました。いや、これでかわらなかったら人間としてどうかしてると思うし、いろんな場面でこの人は感情が欠落してるというよりも、誰かの「死」に直面した事がないんだろうなぁと考えるようにもなりました。この一年半の中で思った事を忘れないうちに書き残しておこうと思います。先に結論をいうならば、よりいっそう家族を大事にしようと思いました。自分の妻と娘を。もっと大切に。

・良かった事

  •  孫の顔を見せる事ができてよかった。つまり自分が結婚して子供ができてよかった。親が死ぬ前だったらきっと孫の顔見せてやりたかったと思うに違いない。
  •  脳卒中のような即死ではなく、癌を発見してから一年半の間だけでも、今一度家族として話す時間があった。ただ最期は声が出しにくくなって行くので会話が困難になる。そこから一週間もして目が濁って見えなくなり、そして静かに眠るように息を引き取った。
  •  親父の知り合いに葬儀屋がいたので慌てずに対処してもらえた。事前に連絡先なんかがあった。どこで火葬するとか、どこで葬式やるとか。浦安の火葬場はお通夜から火葬まで全部一緒にできた。
  •  葬儀の際の挨拶は冒頭と最期だけ形式的な挨拶にして、中身は自分自身の言葉で伝えたことが良かった。途中涙が止まらなくて言葉に詰まったけど、それでもすべて事前に話す内容だけ決めて自分の言葉で話をしたのは良かった。

自分の家族、両親と兄弟に関しては本当にバラバラでした。それは自分が二十歳で家を出て一人暮らしで働きだしたこともあり、仕事が忙しく、家族というものからどんどん離れていきました。一番下の妹とは9歳も離れていますので、その辺の感覚もかなり離れています。自分の会社の後輩ではそれよりも年が離れているのですが、それでも後輩の方が身近に感じたりするくらい。そんなバラバラの家族の距離がぐっと近くなったようにも思えました。

・残念な事

  •  不規則な仕事をしていたのと、携帯電波状況が悪い場所にいたので病院から母親に連絡があって、母親が病院に向かっている夜中、馬鹿みたいに仕事してた。
  •  七五三の着物姿を写真でしか見せられなかったのが残念。一緒に写真撮影も考えたが、体調的に難しかった。
  •  親父ががん保険を解約していたのが残念だった。震災の影響で仕事があまり入らなくなった時期に解約したらしい。
  •  もっとこまめに健康診断に行ってほしかった。自営だからなかなか検診にいく習慣がない。費用もかかるからか。
  •  一緒に酒を飲みにいけなかった。実家で少し食事するのではなく、できれば店にでも行って飲んでみたりしてやればよかった。
  •  親父にありがとうと伝えればよかった。逆に親父がありがとうありがとうとメモを残していた。
  • できればもっと実家にかえって孫の顔を見せてやるべきだった。

・自分に置き換えてみた事

  •  健康診断はしっかりと腫瘍マーカーもやろうと思う。
  •  妻に、娘に家族に感謝の気持ちを伝えるのは最期だけではなく、普段からしようとおもった。できるだけ思い出は残してあげたいと思った。
  •  死んだときに連絡してほしい連絡先は作った方が良いと思った。
  •  遺書という訳ではないけど、病理解剖や臓器提供の意思は残したい。
  •  みんなに迷惑のかからないよう、葬儀費用は安く抑えて欲しい。墓は近い方がきてもらいやすい気がするからできればあまり遠くない方がうれしい。
  •  財産的な物やカード類など、パスワードは妻に解るようにしておいたほうが良いのかもしれないと思った。
  •  死んだ後の事をまとめておいた方が良いのかもしれない。妻がしなければならない手続き、名義変更、役所、会社、様々な所への連絡などとにかく妻に負担をかけてしまう。どう考えたって妻より俺が先に死ぬ。ローンをチャラにできたり保険金を多少残せたりするのかもしれないが負担はすべて妻だ。

まだまだ、親父の四十九日だとかいろんな事が残ってるけども、そのへんの段取りなんかもメモとっていかないとだなぁと思いました。
まだ落ち着いた訳ではないし、整理しなきゃ行けない事もたくさんあれば、新たな問題がおこっていたりもして、頭の中がめちゃくちゃになっているのが現状ですが、それでも仕事ってのは容赦なく追い打ちかけてくるもんですね。。。。まぁそれぐらいのほうがいいのかもしれません。

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